2013年3月22日金曜日

レンガの小径

「すみません、○○くんいますか」
コドモのお友達から電話がかかってくる。

「ごめんね、遊びに行っちゃったんだよ」
「……そうですか、わかりました」
電話が切れる。

それがどうしたの?と言われそうだけれど
私、こういうのに弱いのだ。
胸がシュン、となる。

彼はきっと、
「どうして僕を誘ってくれなかったんだろう?」と
思っているだろう。

前は、彼がいちばんの仲良しだったのに
クラスが変わって、しばらくすると
コドモは、別の子といつも一緒に
遊ぶようになってしまったのだ。

度々、電話がかかってくるけれど、
コドモは出かけていたり、
「約束しちゃったから、ゴメン」と言って断る場合が多い。

「一緒に遊べばいいじゃない?」と言うけれど、
「グループが違うから、難しい」のだとか。
彼らには彼らの世界があるのだから、
私がそれ以上口をはさむのは、間違っている。

コドモの友達には
きっとそのうちに
もっと親しい友達ができるだろう。
電話を切った後だって、
サッサと別の友達に電話して
楽しく遊んでいるかもしれない。
そう思いたい。

私が子どもの頃は、
電話なんてあまり使わせてもらえなかった。
友達と遊びたいときは、 直接家に行った。

せっかく訪ねていったのに
留守だったときの寂しさ……。
「もしかして、本当はいるのに
隠れてるんじゃない?」なんて思いながら
ピンポーンという音が、
家の中に鳴り響くのを
いつまでも聞いていた。

松田聖子ちゃんの「レンガの小径」という歌がある。
彼とケンカしてしまって
しばらくして、家に行ってみたら
引っ越してしまった後だった、という歌詞だ。

「呼び鈴を押したけど、もう誰もいない」
大人になって、この歌を聞いたとき
思わず涙が流れてしまった。

きっと、 この寂しさをたくさん知っている人と、
知らないまま、幸せに歳をとる人がいるんだろうな。

お気に入りのカップで
コーヒーを一杯、が
一日の始まりです。

2 件のコメント:

  1. さくらんぼ2013年3月27日 0:02

    なんだか私も切なくなりました。私も子供の頃同じようなことあったなぁと思い出しました。寂しかったなぁ。そして息子も同じような経験しています。子供がどちらの立場にたっても書いてあるような心境になります。だまって見守るのももどかしいですね。どちらの立場も行ったり来たりしながら大人になるのかなとおもったりもします。またブログ楽しみにしていますね。いつも下手な文ですみません_φ(・_・

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    1. さくらんぼさん、いつも読んでくださって、ありがとうございます。
      本当に、傍から見守るのってもどかしいですよね。
      親って、子どもにとってはほんの脇役なんだな~といつも思います。

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