2015年8月17日月曜日

電車の中で

友人から聞いた話です。 

電車で、座っていたら
松葉づえをついた男性が乗ってきたので
席をゆずりました。 

すると、男性は
「ありがとうございます」とお礼を言って
自分ではなく
小学生(高学年)の娘を、座らせました。

 友人は、ビックリしました。 
そして言いました。

 「私はあなたに席をゆずったのです。
娘さんにゆずったんじゃないんです」

 でも男性は、
「いや、僕は大丈夫です」と言って
知らん顔をしている。
その娘も、立とうとしない。 

周りの人にも、
 「何かもめているな」という感じで
ジロジロ見られて
友人は、腹が立つやら、恥ずかしいやら…。

こんなふうに
優しい気持ちでやったことなのに
裏切られてしまうことって
たまにあるものです。

 吉野弘さんの
「夕焼け」という詩を思い出しました。

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
“二度あることは、と言う通り 
別のとしよりが娘の前に
押し出された。 
可哀想に。 
娘はうつむいて 
そして今度は席を立たなかった。 
次の駅も 
次の駅も 
下唇をギュッと噛んで 
身体をこわばらせて---。 
僕は電車を降りた。 
固くなってうつむいて 
娘はどこまで行ったろう。 
やさしい心の持主は 
いつでもどこでも 
われにもあらず受難者となる。 
何故って 
やさしい心の持主は 
他人のつらさを自分のつらさのように 
感じるから。 
やさしい心に責められながら 
娘はどこまでゆけるだろう。 
下唇を噛んで 
つらい気持ちで 
美しい夕焼けも見ないで。
 『夕焼け』より


六本木で仕事の合間に、ちょっとだけ
テレビ朝日であそんでます。